HOME > 寂円寺の歴史

寛永十二年の開基以来、三百六十余年に渡って寂円寺は、火災、地震、空襲等による再度の被害を受けながらも、時代の荒波をくぐり抜け、今日まで壇信徒に支えられ、親鸞聖人の教えを守り続けてきた由緒ある名刹です。

寛永12年(1635) 寂円寺は、将軍家光の時三河以来の武家衆を壇信徒として江戸神田緒弓町組屋敷内に開基される
貞享5年(1688) 第三世釈了意の時に幕命により現在地の小石川原町に移る。以来徳川時代を通じ、寂円寺は二度の大火と大地震を被るが、安定した武家檀信徒の厚い信仰に支えられ、順調な教化活動を行い、万延元年(1860)頃には町衆も合わせ檀信徒も三百に達する。
天保13年(1842) 江戸大火。寺内残らず類焼。再建を願い出る。
文久2年(1862) 正月、本堂再建成る。
明治30年(1897) 明治政府の神仏分離令により、廃仏毀釈の嵐が仏教寺院を襲い加うるに、幕臣檀家の多い寂円寺は疲弊し十四世住職釈大慶の時代に寺地の半分を失う。
昭和20年(1945) 五月、戦災により全焼。寂円寺は焼け残りの木材で建てた三帖一間の掘立小屋から、戦後布教の第一歩を踏み出す事となる。
昭和24年(1949) 第十七世釈大圭(前住職)十一月、焼け野原に本格建築の八角本堂建立。醴交会を結成し、講師に亀井勝一郎氏を招き文化活動を始める。一方児童のための三クラスからなる勉強塾を開設、児童数は百八十名にに及ぶ。
昭和38年(1963) 檀信徒を中心に、聞法、親睦、寺の維持を目的に「三宝会」を結成。
昭和48年(1973) 新感覚の椅子席本堂建設。親鸞聖人生誕八百年大法要を、落成式を兼ねて行う。
昭和53年(1978) 候補衆徒吉岡茂光(釈大泉)が副住職に就任。記念に庫裡増築。
昭和55年(1980) 千葉ニュータウンに「まどか幼稚園」を開設。園児数約三百名。
昭和58年(1983) 宗祖聖人の説かれた「倶会一処」の思想を具体化した共同墓「寂光廟」を建設。
昭和60年(1985) 創建三百五十周年、記念事業を行う。
平成5年(1993) 七月本堂改修、法輪閣落慶。
平成9年(1997) 一月、蓮如上人五百回忌記念事業として墓地整備、寂光廟改修工事に着手。十月、寂光廟完成。広くあまねく人々に仏法を拓く心をこめて山号を「法輪山」と改め、山号額を山門に掲げる。
平成13年(2001) 第十八世釈大泉(現住職)就任。
平成14年(2002) 候補衆徒吉岡量(釈大量)が副住職に就任。