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抱腹絶倒。

| コメント(2) | 13年09月26日

最近、うちでは子どもが漫画を読みながら大爆笑していることがあります。抱腹絶倒とはまさにこの状態をいうのだろうなというくらいに転げ回っている時もあります。

思えば自分もそのくらいの頃、漫画を読んでは抱腹絶倒していたのですが、今改めて、子どもの読んでいる漫画を借りて読んでみると、面白いことは面白いのだけど、こんなに床を転げ回るほどに笑えないし、むしろ悲しいかなこれの何がこんなにツボにはまるのだろうかとか思ってしまうことすらあります。

それは自分が大人になったということで片付けてしまうことができるのですが、その変化は、一体いままで自分が心から笑えていた感性をどこにやってしまったのだろうか。そしてそこで失ってしまったものは一体何なんだろうかと考えさせられます。

そんなことを考えていたら、子どもの感性に直接響く笑いを、意図として今も変わらず作り続ける大人達というのはすごいものだなと感じます。目に見えないその感性をさびさせることなく、意識して維持するだけでもきっと常人には想像できないくらいの努力をしているに違いないと。

そしてその感覚は子どもと関わる時にはとても大切なことのように感じます。

昔、園で子どもが自分の目の前におもむろに花を差し出してきたことがありました。

その時、自分は、ありがとう、くれるの?と聞いたら、その子どもは首を横に振ります。そしてまたおもむろに自分のほうに花を差し出してくる。

はて、くれるのではないとしたら何なんだろうか、一体どうしたいのだろうか。なにか袋にいれて持ち帰りたいのだろうかなんてことを考えていたら、その子どもは走り去ってしまいました。

その後、その子どもは近くにいた友達に、同じように花を差し出した。するとその差し出された子どもは一言、きれいだね、といいました。

すると花を差し出した子どもは嬉しそうに園庭にかけだしていったのです。

その出来事をふと思い出したのです。

子どもの漫画を読んで笑えなくなったこと、きれいだねの一言が即座に出てこなかったことはきっとどこかで繋がっているのかもしれません。そしてそれがきっと大人になる過程でどこかに置き忘れてしまった感覚であり、感性なのだろうと思います。

その感性や感覚が何なのか、はっきり言葉にするのは難しいのですが、でもきっとそれは人間を根底で支える類のものなのかもしれないということを感じる今日この頃です。

副住職

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