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嘘をつくということ。

| 13年01月22日

幼稚園にいると子どもたちがあからさまに嘘をつくという場面にでくわすことがあります。

叩かれてもいないのに叩かれたとか、本当は自分にできないことをできるとか、悪いことをしてしまったのにしてないとかいうことはよくあります。

子どもと関わる上で、このような嘘にどう向き合うかということはとても大切な事で、現場にいて感じるのは、子どもが嘘をつくときというのは、その子を知る上でとてもチャンスだということ。

あからさまに嘘をついている子どもをみると、ついどうしてそんな嘘をつくのか、平気で嘘をついていると嘘つきの子どもになってしまうから、それだけは厳しく注意しなければ、親であれば、どうしてこんな子になってしまったのか、育て方を間違ったかなどと思ってしまったり、つい嘘をついたということにばかり目がいってしまいますが、幼少期につく嘘のほとんどはここで直さなければ平気で嘘をつくようになってしまうなどと思うまでもないようなもので、ずるがしこく、人を陥れるような類のものではないので、たいして心配するようなことではないと思います。

それよりもそこで大事なのは、なぜそんな嘘をついたのかということにしっかりと目を向けることです。なぜ叩かれてもいないのに叩かれたというのか、なんでできないことをできるというのか、どうして目の前で悪いことをしたのに、平気でしらをきるのか。

そこにはたくさんの子どもからの想いがこめられていて、それは「もっと自分をみてほしい」とか「さみしい」とか「ほめられたい」とか「おこられたくない」「認めてほしい」の裏返しであることがほとんどで、その原因をつくっているものはなんなのかということを考えなければならないと思います。

その原因は親にあるかも知れない、友達関係の中にあるかもしれない、弟や妹が生まれたことかも知れない。いづれにせよ子どものつく嘘はその子のおかれてる状況や環境を映し出す鏡であるし、むしろ嘘という形で、表にサインがでてくるほうがありがたいことなのかもしれません。

そのサインを見落とさずに、しっかりとひろうということが「育てる」ということなのではないかと思います。これは子育てに限らず「育てる」ということはすべて、サインを見落とさずにしっかりとそれをひろって紐解いていくということなのだと思います。

幼児教育と仏教がとても似ているなと感じるのはこういう部分で、仏教のいう因果とはまさにこういうことで、因果を考えるということの矢印を子どもではなく自分自身に向ければそれはそのまま仏教になります。

なぜ苦しいのか、なぜ妬むのか、なぜ嘘をつくのか。

自分を自分たらしめるものはなんなのか、それを紐解いて、そしてその自分とどう向き合っていったらいいのかということが「教え」ということになるわけで、そのための方法論が教典にかいてあるわけです。

その中で、最近、教典というのは教科書のように、教典を読んで自分の生活に照らし合わせるのではなくて、まず自分の生活を見直してみて、そこから湧いてきた疑問や苦しみをしっかりと認めた上で、教典の中にその解決策を探すいう順序ではなければならないのだということを強く感じるようになりました。

微妙な違いなのですが、教典はマニュアルではないので、漠然とその通りにしたら何かが変わるかといえばそういう類のものではなくて、それはあくまで過去の先人達の生き様や思考の集大成であり、例題集であるわけで、自分の中の問題点はなんなのか、いま自分をとりまく環境はどうであるのか、それを考えるということが前提になければなんの意味もなさないように感じます。そこから自分はどの教えを選択していくのかということにも繋がっていくのだろうと思います。

仏教であれ、幼児教育であれ、そこにはまずしっかりと心の中へ目を向けていくという姿勢が大切なのだと感じます。

副住職

コメント(5)

中村光彦 | 2013年1月24日 13:41

始めまして。
「育む」という意味、「教え」ということが明確になりました。ありがとうございます。
貴寺HPへは生前お世話になった方の7回忌の供養に参りたく場所の確認のために入りました。
是非、近いうち伺いたく存じます。

副住職 | 2013年1月24日 14:49

コメントありがとうございます。私自身まだまだ勉強中ですので、今の自分の感じている教えの受け止め方ということになりますが、仏教というのは自分自身をしっかりと育てていくものであるという考え方もできるのではないかと思っています。

またお寺の方にもいつでもお参りください。ありがとうございました。

遠藤正樹 | 2013年1月28日 17:16

副住職さま
「嘘をつくということ」拝読させて頂きありがとうございました。
ご趣旨から外れる気がしますが、ここにきて自分自身、社会通念から始まり見栄、体裁、外聞などのケレン味勝ちの生き方をしてしまったかなと思う処があります。これからはもっと自分のエゴに素直であっていい、もっとあからさまでいい、その挙句のフリクションはしょうがないと開き直り始めました。とても楽なのです。
真宗は律するのではなくそんなわがままも微笑んで頂けるものと信じているのですが。
尚、土曜の演奏は滋味があって素晴らしかった。有難いご縁を頂きました。
遠藤

副住職 | 2013年1月29日 16:56

遠藤様

先日はありがとうございました。自分のエゴに素直であれば楽になるというのはとてもわかる気がします。

仏教の中では「エゴ」というのは、褒められたものではないのですが、真宗では慚愧の心を持ちながらも、それでもエゴの押さえることが出来ない自分から目を背けず、否定もせず、やけにならず、それも自分であるとつきあっていく覚悟みたいなものが大切なのかもしれないですね、その認識と覚悟があってはじめて、自力の限界、他力への入り口が見えてくるのかも知れないと思います。

しかし、それを言い訳に開き直ってしまうと、念仏あらばなんでもありになってしまうのでそこは自戒しなければいけないなと思っている今日この頃であります。

先日のバイオリンは本当にすばらしかったです、とても頭と身体に響きました、生の演奏の心地よさをはじめて感じる事が出来ました。また機会があればぜひ来て頂きたいですね!

遠藤正樹 | 2013年1月29日 17:18

副住職さま
仰る通りです。異存は全くありません。深謝。
遠藤

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