カレンダー
2011年9月
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | ||||
| 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
| 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
| 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
| 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
最近のエントリー
- 2011秋彼岸法話
- インド旅2001 総括
- 小鳥のお墓。
- 宗教の本分。
- 23年お彼岸 震災に際して
- ホスピスでの法話。
- ランドセルの件(追記)
- 伊達直人のランドセル。
- あけましておめでとうございます。
- 2010報恩講
- 土いじり。
- 平和について
- 仏教の役割。
- キリスト教の結婚式
- コミュニケーション
- 走る。
- 成長のスピード
- 学ぶ
- お彼岸を終えて。
- 原因と結果
- 発表会
- お念仏と浄土
- 新年あけましておめでとうございます。
- 年の瀬に。
- brain
- タイから帰国しました。
- モスバーガー
- ほとけさまのものさし。
- 我慢
- お彼岸あけ
- 智慧
- ベット
- 本末転倒
- 鉄博
- 祈ること
- お寺
- お盆
- 観る。
- 三願転入
- 脳死問題について
- 頭痛
- アジサイ
- いただく。
- 非僧非俗
- いただきます。
- 先日。
- いわんや悪人をや。
- 新学期
- 桜
- 風が吹けば桶屋が儲かる。
- 2009年春彼岸法話
- はじめに。
月別アーカイブ
- 2011年9月 (1)
- 2011年8月 (1)
- 2011年7月 (1)
- 2011年5月 (1)
- 2011年3月 (1)
- 2011年2月 (1)
- 2011年1月 (3)
- 2010年12月 (2)
- 2010年10月 (1)
- 2010年9月 (1)
- 2010年8月 (1)
- 2010年6月 (1)
- 2010年5月 (2)
- 2010年4月 (1)
- 2010年3月 (2)
- 2010年2月 (1)
- 2010年1月 (2)
- 2009年12月 (2)
- 2009年11月 (2)
- 2009年10月 (2)
- 2009年9月 (3)
- 2009年8月 (3)
- 2009年7月 (3)
- 2009年6月 (5)
- 2009年5月 (3)
- 2009年4月 (3)
- 2009年3月 (3)
カテゴリー
お彼岸あけ
| 09年09月26日
お彼岸が開けました。
今年は大型連休の中のお彼岸ということで、お参りに来る人の数が、予想できずにいたのですが、本当にたくさんの方にお参りいただき、ありがたいことだとしみじみと感じました。
普段はお参りに来られない、おじいさんやおばあさんや、そのお孫さんや、息子さんなど、お休みだったことで、ひと家族の人数がいつもよりも多かったように感じます。
そうやっておじいちゃんがいて、息子さんがいて、お孫さんがいて、そうやって世代を超えてお寺に足を運んでくださるという光景には、感慨深いものがあります。
最近では「直葬」という特集などが、あちらこちらでとりあげられています。また少し前に、またお寺やお坊さんの必要性は本当にあるか?なんて記事をよみ、切ないことだなぁ。と感じていたのですが、お彼岸が終わり、境内のお墓にはほとんどお花が上がっていて、寂光廟には、花立てにはいりきらないほどのお花があがり、また、いろんな方が足を止めてお話をしてくださることに、とてもありがたいことだなと感じます。
最近ここでいろいろ思ったことを書いていることもあり、気軽にお声をかけていただく機会が増えて、とてもうれしく思います。やはり真宗では、顔を見合せて、話をするということがとても大切だと思います。
お寺に足をはこばれた際にはぜひおきがるにお声をかけていただけたらと思います。お茶でも飲みながらお話しできたらいいなと思います。
コメント(2)
26日掲載拝読させて頂きました。こうしてお寺さまに集う想いは人それぞれでしょうが、見ず知らずの人々と場と時間を共有していくうちに、自然と仲間意識やら、同胞感やらが自分のなかに芽生えてくるのを感じます。様々な人生の局面で様々に悩んでいる人々が自分ひとりだけでは無いのだなと安心し、そして又それぞれの人生へ散らばって行くのだと思います。生老病死のなかのある時点からこの様なコミュニティを持っていられること、皆同じかも知れないと確認できる場にご縁を頂戴できたことはとても有り難いなとつくづく感があります。私にとってお寺さまは彼岸と娑婆の接点です。日常では得られないおごそかな気配を感じ、謙虚な気持ちに戻り、たとえ少しの間でも人間としての優しさを取り戻し、そして気分を新に日常のあれやこれやに再度復帰して行くことができます。ですから言及された直葬はひとつの考え方かも知れませんが、人生していく上での貴重な機会をみすみす逃してしまうのですから、とてももったいない話しではないかなと感じております。私個人としてはお寺さまを持てて本当に良かったと思いますし、これからの人にもお勧めしたいと断言できます。 遠藤 拝
コメントありがとうございます。>お寺さまは彼岸と娑婆の接点です。というお言葉とてうれしく感じます。真宗の場合、お寺があんまり格式高く敷居の高いのはよくないのかもしれませんが、しかし、日常とは切り離されて、聞法をする場所ということでは、お寺に来て、自分を省みて、日常に戻る。ということができるということは、大変意義のあることだと感じます。
お寺に足を運びやすく、だれでも立ち寄れるようなお寺をつくっていきたいと思っています。




