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お彼岸あけ
| コメント(2) | 09年09月26日
お彼岸が開けました。
今年は大型連休の中のお彼岸ということで、お参りに来る人の数が、予想できずにいたのですが、本当にたくさんの方にお参りいただき、ありがたいことだとしみじみと感じました。
普段はお参りに来られない、おじいさんやおばあさんや、そのお孫さんや、息子さんなど、お休みだったことで、ひと家族の人数がいつもよりも多かったように感じます。
そうやっておじいちゃんがいて、息子さんがいて、お孫さんがいて、そうやって世代を超えてお寺に足を運んでくださるという光景には、感慨深いものがあります。
最近では「直葬」という特集などが、あちらこちらでとりあげられています。また少し前に、またお寺やお坊さんの必要性は本当にあるか?なんて記事をよみ、切ないことだなぁ。と感じていたのですが、お彼岸が終わり、境内のお墓にはほとんどお花が上がっていて、寂光廟には、花立てにはいりきらないほどのお花があがり、また、いろんな方が足を止めてお話をしてくださることに、とてもありがたいことだなと感じます。
最近ここでいろいろ思ったことを書いていることもあり、気軽にお声をかけていただく機会が増えて、とてもうれしく思います。やはり真宗では、顔を見合せて、話をするということがとても大切だと思います。
お寺に足をはこばれた際にはぜひおきがるにお声をかけていただけたらと思います。お茶でも飲みながらお話しできたらいいなと思います。
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智慧
| コメント(2) | 09年09月17日
もしいま自分が突然。
「おいそこの死にかけたおじさん」
と言われたら。むかっとすると思います。
でもよく見てみれば、それは全部事実なわけで。生きている以上、死にかけてない人なんていないし、自分はもうお兄さんというほどでもないですし。
でもそれにむかっとするということは、
自分は死にかけてないし、おじさんでもないと思いこんでいるからなんだと思います。
この思い込みを、仏陀は妄想と呼んで、そこでむかっとする気持ちを苦しみと呼びました。そして、その苦しみを解消するために、物事を正しく受け止めて、事実を正しく見なさいと説くわけです。その物事を正しく見ることを智慧という言葉で説きました。
むかっ。とか、イラっとか。
その理由を、よくよく目を凝らしたらけっこう言われんでもないなと思うことは多々あるし、結構事実だったりすることはあります。
今に目を凝らしてみると、けっこういろんなもんが落ちてるもんで、自分の疑問に思っているすべての答えは目の前にあるのかもしれません。
阿弥陀経の中には、「今現在説法」という言葉があります。これは今この瞬間にも説法は満たされているという意味で了解してもいいじゃないかと思います。「摂取不捨」というのも同じで、捨てるもんなんてなにもないと了解してもいいんじゃないかと思います。
こう書いていますと、ほんとうに自分はつくづく浄土系だなと思います・・・
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ベット
| コメント(2) | 09年09月09日
あるお寺の坊守様が、癌で闘病をされ、亡くなるまでの間の心境を綴った本を読みました。その中に、「ベット」と題された短い詩のような文章が載っていました。
説法はお寺で
お坊さまから
聞くものと思っていましたのに・・・
肺癌になってみたら
あそこ ここと
如来さまのご説法が
自然にきこえてまいります
このベッドの上が
法座の一等席のようです
この短い文章の中に真宗の大切な部分がすべて詰め込まれているような気がしました。
お念仏や、本願、他力ということを、言葉や理屈や、分別や理解の中で伝えていくのはとても難しいことです。やっぱりまずは自分の中にしっかりと真宗を味わい、お腹に落として生きていくこと、それだけでもう十分その生き方が利他につながる、それが自利利他ということなのかもしれないと感じました。




