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はじめに。
| 09年03月16日
真宗では「聞法」ということを大切にします。
「聞法」というのは仏教のおしえを自分のことに置き換えて自分の中に取り込んで自分自身の問題としていくということではないかと思います。
ある本に鏡がなければ自分の顔を見ることができないように、法は、鏡にたとえられ、私たちのあり様をうつし出すものです。と書いてありました、これを読んでも正直ぴんとこない部分もあるのですが、いまそれがわからなくてぴんとこないものも、あるとき突然ぴんときて。「あああれはこういうことなのか!」という瞬間にであうこと。そしてその発見の中で生きていくということも、ひとつの「聞法」なのではないかと感じています。きっとそういう瞬間が宗教に触れるということなのではないかと思います。
聞法するために必要なのは、自分が生きていく中でおきる事件や、それこそ小さな心の変化や、たわいもない出来事をただ流していくのではなくて、しっかりと見つめそしてその1つ1つの答えを真宗やまた、仏教の中にさがしていくことではないかと思います。そんな1つ1つのできごとや感じたことを、心の中にいつまでもためておいて、数年後に自分の中で、「ああ。ああいうふうに感じた気持ちはこういうことなのか!!」と思えるように、忘れないようにいま自分が感じたこと。聞法したことを書き記しておこう。と思ったのがこのサイトを作ったきっかけです。
日々の自分なりの聞法です。きっと数年で考えが変わることもたくさんあるとおもいます。もし願わくばここに書いてあることを読んで。宗教や仏教というものを身近に感じていただけたらと思います。
またなにが疑問も思ったり、それは違うよということがあればぜひお聞かせ願いたいと思います。このサイトをきっかけにたくさんの人とお話しできたらと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
副住職
コメント(2)
副住職さま
28日掲載文拝見させて頂きました。
ある環境から好ましい結果を導出できれば幸せだと思います。同時に環境に左右されないぶれない自分と言うものが確立できれば、それは安住の境地へと導いてくれるかも知れません。独りよがりであっては周囲も迷惑するでしょうが、そうで無い自分の世界と言うものを早く持てればと思います。
遠藤 正樹 拝
環境に左右されないぶれない自分というのはたしかに大切かもしれないですね。ただ難しいのは、どこがぶれていない自分であるということを定義するかもしれないですね。ぶれていない普通の自分とはどの状態なのか。そもそもそこが正しいのかどうか。
そう考えると自分自身というものはどういうものであるか。ぶれるというのはどういうことであるか、更に深く考えるきっかけになりそうです・・・
コメントありがとうございます!




